SHINJO HIGASHIYAMAYAKI
天保十二年開窯 新庄戸沢藩御用窯

伝統

“出羽の雪のかげりの色”と例えられる澄んだ青みの「なまこ釉」が東山焼の特色。
「親しみやすく日常生活で使われる陶器」が初代からの家憲で、かつて作られた土鍋は、
民藝運動の創始者・柳宗悦[やなぎむねよし]に
「三つ足も添へてある古い型を伝えるものでありませう。
土鍋としては日本中のもので最も美しいでせうか」と言わしめた品。
現六代目の正和は、無釉焼〆[むゆうやきしめ]や木葉天目[このはんてんもく]などの
アレンジも加えた作品で伝統を紡いでいます。

  • 「新庄東山焼の開祖」初代 弥兵衛

    初代 弥兵衛
    • 享和元年(1801)7月7日、越後国小杉村に生まれる。
    • 文化13年(1816)から文政3年(1820)までの4年間、磐城国大堀村の瀬戸師巳代吉に師事し、技術の皆伝を受け、さらに各地を遍歴して技術の研鑽をつむ。
    • 文政11年(1828)から天保11年(1840)まで秋田藩寺内村瀬戸場に召抱えられる。
    • 天保12年9月、戸沢藩瓦師として三人扶持九俵にて召抱えられ、この地に新庄弥瓶窯を設立する。
    • 製陶を行うかたわら、石焼(磁器)を企て、嘉永元年(1848)に及位村に白石を発見。藩費をもって石焼窯および工場を設ける。さらに良質の陶石を求め肘折村など各地を採掘するが、経済的な理由で中断する。その志は、二代弥瓶が引き継ぐ。
    • 明治5年9月3日、72歳で逝く。
  • 「世に出始めた東山焼」二代 弥瓶

    二代 弥瓶
    • 天保12年(1841)12月6日、弥兵衛長男として出羽国秋田群土崎に生まれる。
    • 天保13年、新庄に移る。6歳より父について陶業を学ぶ。
    • 明治5年、家督を相続。父在世中より従事していた石焼(磁器)の本格化を企て、父より相伝の唐津流丸窯の技術に加えて、美濃流鞘窯の技術を導入した。
    • 明治政府の殖産興業の施策に呼応し、各種博覧会に製品を出品。明治18年の東京上野公園五品共進会に出品、宮内省御用品として買い上げられるなど、製陶技術の向上につとめた。
    • 明治44年9月14日、明治35年の大暴風雨の災害復旧工事の完成を見ずに71歳で逝く。
  • 「激変と回帰そして発展」三代 弥瓶

    三代 弥瓶
    • 明治12年1月29日、二代弥瓶の二男として生まれる。年少のころから父につき陶業の技術を修得し、家業を助ける。
    • 三代弥瓶の活躍した時代は、第一次世界大戦後の世界的不況、日華事変、太平洋戦争という激変期で、初代・二代が心血を注いだ石焼(磁器)の製造を廃止。東山の陶土の特性を生かした土鍋、行平、摺鉢、湯通し、片口など、日用雑器の土焼を行い、今日の“東山焼”の名声の基礎を築いた。
    • 三代弥瓶の陶器に触れた民芸研究家の柳宗悦は、その著書「手仕事の日本」の中で、《美しい青みのある海鼠(なまこ)釉を用いゐて土鍋だとかを焼き・・(中略)土鍋としては、日本中の中で最も美しい》と述べている。
    • 昭和18年10月23日、73歳で死逝。
  • 「苦難と精進、認められた陶業」四代 弥瓶

    四代 弥瓶
    • 明治41年4月9日、三代弥瓶の長男として生まれる。
    • 年少の頃から灯火を消した暗黒の中での製陶修行を父に強いられながら、家伝の法を修得する。
    • 経済激変の中で、三代弥瓶の偉業を継ぎ、さらに、益子、笠間において研修するとともに、河井寛次郎、柳宗悦の指導を受け、東山焼新庄窯の名を不動のものとする。
    • 昭和45年、大阪万国博に県代表として出品。
    • 昭和49年、山形県より《卓越した技能者》として表彰される。
    • 昭和49年、新庄市長より《文化功労者》として表彰される。
    • 昭和50年10月24日死逝。行年68。
  • 「地元への敬愛が生んだ、数々の貢献」五代 弥瓶

    五代 弥瓶
    • 昭和50年、五代・弥瓶を襲名。
    • 昭和56年、第37回山形県総合美術展において油滴天目釉壷が入賞、山新賞を受ける。
    • 昭和61年、卓越した技能者として山形県知事より表彰。
    • 平成元年、芭蕉乗船の地・本合海に「芭蕉と曽良」の等身大の陶像を建立、感謝状。
    • 伝統的工業品産業振興会より全国表彰。
    • 観光産業と地域経済化に寄与した功により、山形県知事表彰。
    • 新庄地区物産協会長としての尽力した功により、あじさい表彰を受ける。
    • 平成19年、新庄市公労表彰受賞。
    • 平成24年、旭日双光章。
    • 平成28年、正六位に叙する。
    • 平成28年5月29日死逝。行年88。
  • 「未来を目指す伝統美」六代 弥瓶

    六代 弥瓶
    • 昭和29年、広島県呉市で生まれる。
    • 昭和55年、五代目・涌井弥瓶の長女・賀代子と結婚し、作陶を始める。
    • 昭和57年、瀬戸鼎窯会に入り、名古屋名鉄、銀座松坂屋にてグループ展。
    • 昭和58年、大沼山形本店にて個展。
    • 平成5年、朝日陶芸展93 入選。
    • 平成6年以降、山形大沼、銀座陶悦、広島呉そごう、長岡ギャラリー紺等で個展
    • 平成28年、卓越技能賞受賞。
  • 「この地域に住む人が豊かだと思える物作りを」七代 涌井大介

    七代 涌井大介
    • 昭和57年4月9日、山形県新庄市で生まれる。
    • 平成13年、山形短期大学へ入学。
    • 平成17年、山形市から新庄市へ戻り作陶を始める。
    • 平成18年以降、山形大沼、新庄大沼ギフト、広島呉そごうなどで展示会。
    • 平成22年、ギャラリー風の蔵でのグループ展。
    • 山形工芸の会所属、新庄市民プラザ陶芸教室講師。